★5/★5
人間の建前と本音に迫った映画でした。暗い気分にはなりましたが見て良かった。地獄のような空気の宅飲みが1番好きなシーンです。
ネタバレを含むのでご注意ください。自分なりの思ったことや考察です。
また、記憶をたどって書いているので、登場人物のセリフはちょっと違うかもしれません。
あらすじ
主人公(洋子)は元・有名作家だが、スランプで書けなくなり、生活のため重度障害者施設で働くことを決める。施設では他の職員による入所者への酷い扱いを目の当たりにするが、それを訴えても揉み消されてしまう。
この状況に憤っているのは、施設の職員である『さとくん』だった。入所者へ誰よりも優しかった彼は徐々に変わっていき、遂に凶行に及んでしまう。
登場人物がみんな拗らせている
主要な登場人物は、主人公である『洋子』その夫の『昌平』施設の職員である『陽子』『さとくん』の4人です。
個人の感想ですが、この4人はみんな嫌な感じだなと思いました。正確には、嫌な感じというかひどく拗らせている。
各々、そうなってしまった事情はあるのですが。。特に、4人で宅飲みするシーンのギスギス感はすごかった。
主人公『洋子』について
洋子は、周りを下に見ているところがあると思いました。また、劇中の表現でいう『綺麗事』を言うのですが、その内容が矛盾を含んでいると感じました。
洋子もそのことにたぶん深層心理では気づいていて、その辺りの洋子の葛藤も本作で面白かったところです。
【人を下に見ている(人間不信?)】
洋子は劇中で妊娠したことが発覚するのですが、高齢出産になることや、以前産んだ子どもが3歳で亡くなりトラウマになっていることもあり、夫の昌平にはなかなか言えずにいます。
とあるきっかけで昌平に妊娠したことを明かすのですが、その際のセリフが「あなたは弱いから黙っていようと思った。でも言ってしまった。ごめん」(意訳)といった内容です。
これ、めちゃくちゃ昌平のことを下に見てるなあと個人的には思いました。昌平がいろいろ頼りない点も確かにあるのですがそんな言い方をするか〜と思いました。
また、施設の同僚である陽子は作家志望なのですが、陽子に対してのアドバイスがデリカシー無いというか。。
多分悪気はなく言っているのですが、アドバイスの内容と洋子の行いが矛盾していることもあり、後ほど陽子に反撃されます。
【矛盾】
作家志望の陽子は障害者施設で働く理由に、作品のための取材目的でもあると言います。
それに対して洋子は「作品の題材にする目的で体験していると、作品が嘘っぽくなる気がする」という旨のことを言います。
しかし、過去に洋子は震災を題材にした作品を書いてそれがヒットしていました。洋子のアドバイスに気分を害していたこともあり陽子は、
「題材にする目的で被災地に取材しに行ってますよね?しかも作品には震災の中で垣間見えた人間の汚い面は全然書いてなくて、綺麗事しか書いてないですよね?それこそ嘘っぽくないですか?」と言い出します。
宅飲みでそんなこと言うなよ。。すごい空気でした。まさに地獄。
実は、洋子も書きたくて書いたわけではなく、(明るいこと、綺麗なことを書くように依頼された)作品については仕方なかった面もあるのですが、他にも言動に矛盾点はありました。
【矛盾2】
重度障害者を〇そうとする『さとくん』を説得する際、洋子が自分自身と対話する演出がありました。
そこで、もう一人の洋子が、「じゃあ今妊娠している子が、重度障害者でも愛せるのか?産まれてきて良かったと言えるのか?キスすることができるのか?」と問いかけてきます。
これに対して、洋子は明確な反論はできなかったんですよね。洋子は高齢出産になるので子が障害を持つことを恐れて、中絶しようとしていました。
障害者を〇すのを止めようとするが、障害を持つ可能性のある我が子のことは中絶しようとしていたという矛盾を突かれます。
しかし、自分の子はなんの障害もなく生まれてきて欲しいと思うのは、いけないことなのでしょうか。
私自身、普段考えたことがなかった、というか考えないようにしていたのかもしれません。
考えは人それぞれかと思いますが、こういった、人間が普段目を背けている問題にフォーカスした映画を作ったことがすごいなと思いました。
夫『晶平』について
たぶん、映画をご覧になった人は、晶平はいい人だと感じた方が多いと思いますが、私は違いました。
たしかに明るく振舞っており、例の宅飲みの際も唯一、気遣いができる人間ではありました。
しかし、なんだか発言に重みがないように感じました。
【綺麗事の重みが違う】
昌平が『さとくん』と会話するシーンで、みんな必死で生きているんだということを訴えるのですが、重みがない。
洋子は障害者の方と直接接していることもあり、自分の中の矛盾に気づき、葛藤しながらも『さとくん』を説得しようとするのですが、昌平にはそういうのがない。
言っていることは一般的に言うところの正論なのですが、これこそ劇中でいう『綺麗事』なのかなと思いました。
直接障害者の方と関わり、妊娠などもあり様々な苦悩の中で生み出した洋子の『綺麗事』とはまた種類が違うのかなと思います。
【視聴者の代弁者】
映画を観ていて、昌平は視聴者が感じるであろうことを代弁してくれる立ち位置なのかなと思いました。
しかし、障害者の方と直接関わっている『洋子』『陽子』『さとくん』の発言と比べると、どうしても軽く感じました。
私自身、障害者の方への意見は昌平に近いのですが、私が昌平に対して感じるように、私の考え方も当事者達からすると軽く感じるのかなと。
こういったことを考えさせてくれるかなり重要な立ち位置の登場人物だったのかと思います。
同僚『陽子』について
陽子は宅飲みのシーンなどで、劇中の印象はかなり悪いかと思いますが、個人的は1番感情移入できた登場人物でした。
【綺麗事や建前が嫌い】
陽子の両親との夕食シーンで、障害者施設で働いていることを両親から褒められます。
しかし、陽子は仕事のつらい面、汚い面を知らずに褒めてくる両親(特に父親)に反発します。
この父親、昔不倫をしていたり、陽子に体罰を加えたりしていたこともあり、そんな人間が何を言ってきても陽子には受け入れ難いでしょう。
また、母親もそれらについて父親を責めるわけではもなく、ただ日々を過ごしてきた様子でした。
そういった、根本的な問題に目を向けず、表面的に取り繕ったような家族関係に対して陽子は嫌気がさしているようでした。
洋子の作品に対する批判でも、綺麗事ではなく真実を重要視する面が描かれており、そういう真実を見ようとする姿勢に好感が持てました。
【人は環境で変わってしまう】
陽子はかなり問題のある家庭環境で育ちましたが、施設での労働環境にも問題があったと思います。
陽子は多分根本的には明るい性格だと思うんですよね。しかし環境によって病んでしまっている。
劇中で描写されている以上に、施設での労働環境が過酷だということを感じさせてくれる登場人物だと思いました。
陽子は、家庭でも職場でも安らげる時はあまりなかったのではないでしょうか。加えて、作家としても芽が出ない状況が続いており、あの宅飲みでの発言も仕方ないのかなと。
同僚『さとくん』について
さとくんの思想については、いろいろ考えさせられました。正しいとは全く思いませんでしたが。
【生産性の無い人間は生きていてはいけない?】
さとくんの理屈の1つに、生産性の無い人間が生きていると他の人間に負担がかかる。他に助けるべき人間がいる。というのがありました。
それっぽく聞こえますが、この理屈は危険だと思います。
生産性が0の人間を排除していったら、次は生産性1の人間も要らないのでは?となり、生産性2の人間も、3の人間も要らないよね。とエスカレートし、生産性が相対的に低い人間がどんどん排除されていくことになりそう。
今生産性が高くても、事故や病気などで突然生産性0になることはありえます。
さとくんはもし自分の生産性が無くなったら、進んで死を選ぶのでしょうか。
【心とは】
さとくんは、施設入所者のうち、心の無い人間を◯していくと言っていました。
さとくんの言う、『心』ってなんなのかなあと思いましたね。
さとくんのやり方だと、意思疎通ができない人間を◯しているだけだなと思いました。
意思疎通できない=『心』がないというのは暴論すぎる。
施設の入所者に、『きぃちゃん』という、声が出せず耳も聞こえず、目もほとんど見えない人がいました。
この『きいちゃん』はさとくんに◯されてしまうのですが、劇中の描写から、きいちゃんには、いわゆる『心』があったのではないかと思うのです。
意思疎通ができない人間は『心』が無いと勝手に決めつけ、◯していくという、さとくんの行いは絶対に間違っていると思いましたね。
【結論】面白かったから見てほしい
感想をつらつらも書いてきましたが、1番言いたいこととしては、是非この映画見て欲しいと言うことです。
ものすごく暗い気分になりましたが、見て良かったと心から思える映画でした。
以上、閲覧ありがとうございました。
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